塩田武士さんの作品は、時期は異なるものの同じ神戸で新聞記者をしていたという経歴に親近感を覚え、評者はデビュー作『盤上のアルファ』以来、注目してきた。同作は、プロをめざすアマチュア棋士と文化部記者の友情を描き、『罪の声』はフィクションの体裁を取りながら、社会部記者がグリコ・森永事件の真相に迫るというもので、映画化もされ出世作となった。また、『歪んだ波紋』(講談社)は、「誤報」や「虚報」が巻き起こす波紋を地方紙、全国紙、ネットニュースを舞台に描き、NHKでドラマ化された。
新聞記者や辞めた新聞記者を主人公にした小説は今も昔も数えきれないが、塩田さんほど自覚的にメディアの特性にこだわり書いている人はいないかもしれない。本書『朱色の化身』(講談社)の主人公、大路亨も元新聞記者のライターだが、少し凝った設定になっている。
新聞記者を辞めて、「ページビュー稼ぎの飛ばし専門記事のニュースサイト」で人脈をつくり、ビジネスサイトに移籍したものの「オールド・メディア容疑でお払い箱」になり、「今は、原稿料にも印税にもならない親孝行の取材を続けている」。
がんを患う元新聞記者の父親から、辻珠緒という女性を捜すよう頼まれるのが端緒だ。亨の祖母が生前、興信所を使って珠緒の祖母を何度も調べさせていたという。だが、ゲームプランナーの珠緒は失踪していた。亨は彼女を知る人を取材してまわる。
こう書くと、普通の小説の書き出しのように思えるが、実際の構成はある意味「異様」だ。「序章 湯の街炎上」は、昭和31年4月23日未明、福井県にあって「関西の奥座敷」をうたう芦原温泉街を襲った大火災の描写に尽きている。「街の中心的な存在だった名高い旅館が燃え始めたことに強い衝撃を受けたが、さらに複数の火の玉が強風に煽られ砲弾となる様に、この世の終わりだとその場にしゃがみ込んだ」。そして火事場泥棒を目撃する場面で終わる。
さらに「第1部 事実」は、珠緒が勤めているゲーム会社の社長、珠緒と京都大学の読書サークルで一緒だった男性、珠緒が就職した銀行の同期の女性、珠緒の中学校の同級生の女性らの証言が続く。物語がどこへ続くか分からないまま、多くの証言を読むのは落ち着かないが、がまんして読むうちに、おいおいその姿が見えてくる。
芦原温泉の複雑な家庭に育ったが、福井の進学校から京都大学へ進む。当時珍しかった女性総合職として大手銀行に入ったものの限界を感じ、京都の老舗和菓子店の御曹司と結婚し退社。離婚後はゲーム開発者として成功......。
大手銀行で当時、総合職の女性行員がどんな仕事をしたのか、寮ではどんな待遇を受けたのかなど、ティテールが恐ろしく詳しく書かれ、面白い。それもそのはずだ。珠緒は架空の人物だが、冒頭の芦原温泉の大火など、「小説内で起きている出来事は、ほぼ本当に起きている」と本書に挟み込まれた別紙の著者インタビューにある。
「第2部 真実」から、亨が地の文にようやく登場し、取材は佳境に入る。珠緒の短かった結婚生活の実態や学生時代のスナックでのアルバイトなど「裏」の顔が少しずつ見えてくる。そして、読者としては期待していなかったが、「終章」に珠緒が登場し、すべての「真実」を語るが、予想外の展開に驚く。
ミステリーを書くのに、ここまで取材を重ね、リアリティーを追求する必要があるのか、と思ったが、塩田さんは「過去書いてきたものの繰り返しをやってしまうと、全力で新しいものを書いても、結局、過去作の8割程度の出来にしかならないのです」とインタビューで語っている。
あれこれ方法論を引き剝がしていき、最後に残ったものが「現場を回って書くことだった」という。
男女雇用機会均等法第一世代の葛藤、ゲーム依存症などの社会的なテーマを盛り込んでいるが、心に残るのは「架空」の珠緒の圧倒的な存在感である。そして、北陸の温泉街で実際に暮らし、泣き笑いしただろう無数の庶民の姿である。
ミステリーとしての評価はさておき、破格の小説が誕生した、と寿ぎたい。散りばめられた多くのディテールに、自分の幼少期や青春時代、仕事の労苦を思い出し、感慨にふける人もいるだろう。
「原稿料にも印税にもならない親孝行の取材」だからこそ、ここまで深い取材が出来たという逆説もまた今日的らしい。塩田さんは元神戸新聞記者。本書はデビュー10年目の記念碑的な作品になるだろう。
BOOKウォッチでは、塩田さんの『歪んだ波紋』(講談社)、『騙し絵の牙』(株式会社KADOKAWA)を紹介済みだ。
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