下重暁子さんが『老人をなめるな』という本を出しました、ということで、編集部員の中で年齢が上の方の部類に属する評者に担当が回ってきたのは自然の流れか、と思いながらページをめくっていたら、一気に読み切ってしまった。とにかく痛快な本である。
まだまだ自分は若いと思っている人は、性別に関係なく、なにはともあれ読んでみるべき本だ。何しろ生きていればみんな「老人」と呼ばれるようになるのだから。
下重さんは今年御年86歳。いまでこそ、エッセイストとして『家族という病』など家族や夫婦の固定観念や幻想をぶち破るベストセラーで知られるが、大学卒業後にNHKのアナウンサーとなり、フリーに転じてから文筆家になった人である。今の女子アナの元祖のひとりと言えよう。
本書で世の中の高齢者に対する扱いに怒りを放つ筆致は、後半に入ると、企業、テレビ、古巣のNHK、そして政府にまで容赦のない批判を展開するようになるのも、こうした経歴があってのことだろう。
本書の第一章は「なぜ日本は高齢者にとって住みづらくなったのか」である。「年寄りはカネがあっても賃貸住宅を借りられない」という自身の体験に始まる。下重さんほどの有名人で、経済的には安定している人でも、である。
この後も、「ホームからベンチが消えた」「タクシーで見たくもないCMを見せるのはおかしい」「高齢者の運転ミスばかり取り上げるな」など、高齢者でなくともおかしいと思っていることを、一刀両断に斬っていく。なかには、主張に異論のある向きもあろうが、下重さんの筆法は鋭い。
次の第二章「身体が不自由なときは、頭を使う」は、同じ高齢者に向けたアドバイスでもあり、叱咤でもある。そこには巷に溢れる高齢者向けの健康法や介護にまつわる「常識」を、下重さんの経験と独断で切って捨てる。小見出しには「年寄りは毎日シャンプーしなくていい」「ヘルパーの善意に甘えるな」といった言葉が躍る。
デイサービス施設で、近所の高齢者が集められ、みんなで歌を歌ったり工作したり、リハビリを受けたりするのは、いまでは当たり前の光景になっている。しかし、下重さんは性格的なこともあり、デイサービスのこのシステムに率直な嫌悪感を吐露する。
実際、集団活動が嫌な高齢者は多く、本書でも、デイサービスの前の晩になると嫌でたまらなくなる、という知人の親戚の話が出てくる。
下重さんによれば、デイサービスは高齢者のためというより、介護する家族の解放という側面が強いと理解したほうがよく、高齢者も行きたくないが家族への引け目から仕方なく行っている人も少なくないとの見方を示している。
周りに迷惑をかけない「行儀のいい」年寄りになれるのなら、それもいいが、自分の感情を押し殺してまで周囲に合わせるように仕向けるいまの日本の高齢者環境に対して、老人はもっと反抗してもいい。下重さんは、そう言いたげに、世間的な「行儀」には背を向け、一人の人間として生きることを呼びかけている。
第三章、第四章と進むにつれ、怒りの矛先は、高齢者問題に限らなくなっていく。とくに、放送業界で生きてきたこともあり、「お笑い芸人」「紅白歌合戦」への批判は歯に衣着せない。
なるほどそういうことかと溜飲が下がる。同時に、古きテレビ人としての矜持が「老人をなめるな」と現役テレビマンに向かって言わせているのだとわかる。
第五章に至って、批判は今の政府とその政策に向かう。新型コロナ対策や東日本大震災後の津波対策、原子力発電所問題など、むしろ次の世代が重荷を背負う課題だ。
知っている人は知っていると思うが、昭和の時代に長谷川町子原作の漫画で、後に青島幸雄が主演した人気テレビドラマ「意地悪ばあさん」というのがあった。本書を読んでいるうちに、このドラマを思い出した。
ホントのことを言って嫌われる「意地悪ばあさん」だが、そのセリフは当時の高齢者の本音を代弁していた。
人生100年時代がきた、ともてはやされるが、言いたいことも言えず、やりたいこともやれずに、年齢だけ重ねていくのでは意味はない。そして、そのことは、平均寿命が伸びる限り、今の若い世代が高齢になっていけばより切実になる。
86歳の下重さんは、そのことを次の世代にもわからせようと、原作よりは上品な令和版「意地悪ばあさん」を本書で演じているのではないだろうか。私たちに「喝!」を入れるために。
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