2021年8月の小田急線刺傷事件や10月の京王線刺傷事件、2022年7月の安倍晋三元首相銃撃事件など、いわゆる「無敵の人」が起こす犯罪が後を絶たない。
「無敵の人」は、社会的地位や人間関係に乏しく、失うものが何もないため簡単に犯罪に踏み切ってしまう人々を指すネットスラングだ。彼らはなぜ、刃を振り回すに至るのだろうか。
精神科医の斎藤環さんは、「無敵の人」の犯罪の背景には「自傷的自己愛」が存在すると指摘する。斎藤さんは彼らの心理をこう表現している。
他者を徹底して拒絶する心は、自分自身をも拒絶せずにはいられないのです。
自傷しながら自己を愛する――いったいどういうことなのだろうか。斎藤さんは著書『「自傷的自己愛」の精神分析』（KADOKAWA）に、この心理についてまとめている。
「無敵の人」の多くは、自己を卑下するような発言をしている。たとえば、2008年6月の秋葉原通り魔事件の犯人は、インターネット掲示板に「（自分のような）不細工には人権などない」と書き込んでいた。「無敵の人」という言葉が広く知られるきっかけになった2012年の黒子のバスケ脅迫事件の渡邊博史被告は、公判の意見陳述で、自らを「人間関係も社会的地位もない」と言い表した。
斎藤さんいわく、こうした劣等感は、ひきこもりやニートに限らず、内向的で孤立しがちな若者などにしばしばみられる自意識のあり方に通じるという。
斎藤さんは長年、ひきこもりを専門に診察してきた。彼らの中には、「いつも自分自身を激しく罵倒する人」がいるのだそうだ。自分は人間のクズだ、生きている価値がない......と言う彼らに対し、仮に「そんなことはない。頭も良いし社交性もある」と褒めて返すと、「そんな誤魔化しを言ってどうするんですか」と怒って反論するのだという。
また、社会的に成功している人の中にも、同様の言動をする人がいるという。斎藤さんが印象に残っていると記すのは、現在世界で1億部以上発行されているマンガ『進撃の巨人』（講談社）の作者・諌山創さんへのインタビューだ。当時『進撃の巨人』はすでにアニメ化もされており人気作品だったが、諌山さんは「運が良かっただけ」「今も自信がない」「いつでもネオニートになれる」などと語ったそうだ。
このように、自己否定的な言葉を繰り返し口に出し、褒められても受け入れない人々には、どのような心理があるのだろうか。斎藤さんの分析はこうだ。
これらの発言のおおもとにあるのは「自分が無価値な人間であるということに関しては、自分がいちばんよく知っているのだから、何人にも否定されたくない」という信念ないし確信です。自分がダメであることについては誰よりも自信がある、という逆説的な確信。だからこそ周囲の励ましは本人の怒りを買うなどして、しばしば逆効果になるのです。
この心理を、斎藤さんは「自傷的自己愛」と名づけた。自傷的自己愛は精神医学の病名としては診断されないまでも、「なんらかのケアや支援が必要であるような問題」だとしている。
斎藤さんは自傷的自己愛について、「普通に存在するのに、驚くほど認識されていないように思える」と指摘している。本人に精神的苦痛をもたらし、エスカレートすれば犯罪にまでつながる、自己愛のねじれ。人々はなぜこのループに陥るのか、どう周囲が対応すれば抜け出すことができるのかが、本書で解説されている。
【目次】
はじめに
第一章 「自己愛」は悪いものか
第二章 自分探しから「いいね」探しへ
第三章 過去からの呪いを解く
第四章 健全な自己愛を育むために何ができるか
おわりに
■斎藤環さんプロフィール
さいとう・たまき／1961年生まれ。岩手県出身。筑波大学医学研究科博士課程修了。医学博士。爽風会佐々木病院・診療部長を経て、筑波大学社会精神保険学教授。専門は思春期・青年期の精神病理学、「ひきこもり」問題の治療・支援ならびに啓蒙。漫画・映画・サブカルチャー全般に通じ、新書から本格的な文芸・美術評論まで幅広く執筆。著書に『社会的ひきこもり』『母は娘の人生を支配する』『承認をめぐる病』『世界が土曜の夜の夢なら』(角川財団学芸賞)『オープンダイアローグとは何か』『「社会的うつ病」の治し方』ほか多数。
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