「BOACスチュワーデス殺人事件」と聞いても、知らない人が多いだろう。1959年に発生し、重要参考人であるベルギー人神父が取調べの最中に突如帰国してしまったことで迷宮入りした事件だ。
本書『消えた神父、その後』は、事件から55年後、当時カナダ在住であった神父を追跡し、ついに面会を果たし、『消えた神父を追え!』(共栄書房)を上梓した著者が、神父の死をきっかけに、再び事件の真相に迫った本である。
松本清張『黒い福音』のモデルとなり、三億円事件と並んで「昭和の二大未解決事件」とされた事件なので、高齢者の仲間入りした評者にとっても、興味がそそられる事件だった。だが、前著の存在を知らず、最近まで神父が生きていたことも、どのような人物だったかも知らなかった。
通読して感じたのは、「昭和は遠くなりにけり」ということと、ある種の「無惨さ」である。
本書では、被害者で当時、BOAC(英国海外航空)のスチュワーデスだった女性(27)は、実名で書かれており、ノンフィクションの性格上、当然のことだが、本稿ではA子さんと仮名で記述したい。
事件の背景に何があったのか、著者は大胆に推理しているが、その過程で、被害者のプライバシーに踏み込んでおり、実名で記すのは忍びない気がしたからである。
本書から、簡単に事件をおさらいしよう。1959年3月10日午前7時40分ごろ、東京都杉並区大宮町の善福寺川で女性の水死体が発見された。女性は世田谷区松原3丁目に住むA子さん。3月8日から下宿を出たまま、行方不明だった。
検視の結果、体に乱暴された跡がなかったため、当初、自殺と認定された。しかし、親族から「自殺に思いあたるふしがない」という申し出があり、あらためて慶応大学病院で遺体は解剖され、溺死ではなく、頸部圧迫による窒息死か、頸部に圧力が加わったためのショック死の疑いが濃厚になった。
さらに、警視庁の調べで、被害者の膣内付着物などから、2つの血液型の精子が発見されたことから、3月8日から遺体発見までの約2日間で、被害者は少なくとも異なった男と肉体関係があることがわかり、事件は好奇の目を集めることになった。
本書では、当時の週刊誌報道を引用し、「尻軽女」というレッテルを貼られても不思議ではない、としている。
短大を卒業後、神戸で看護婦として働いていたが、患者2人と交際し、三角関係を解消すべく上京。看護婦として働き始めた。だが、BOAC日本支社長だった叔父からスチュワーデス試験に応募することを勧められ、知り合ったばかりの神父に英語をサポートしてもらったことから、2人は急接近した。
数百倍の競争率を突破し、合格し、ロンドンへ研修に行く直前に、2人は結ばれたようだ。異性との交遊を禁じられている神父をリードしたのは、A子さんではなかったか、と推理している。
「なにしろ四十代から二十代の男まで、同時並行で関係を持ってきたツワモノである」
そして、関係をもったことから、2人の力関係は逆転し、マウントを取り始めたのではないか、と書いている。
帰国後、電話で神父を呼び出すが、多忙を理由に神父は電話に出なかった。恐怖から憎しみへと神父は追い詰められたのではないか、と見ている。
事件後、なぜ警察は神父にたどり着いたのか。現場近くで「白っぽい車」が目撃され、神父の自家用車と同じルノーであることが報じられた。神父は車の轍痕から足がつくのを恐れたのか、スペアを含む5本のタイヤを新品に交換していた。
古いタイヤは教会の倉庫の奥に放り込まれていたが、「探すのは困難」と言われ、警察は断念した。
「当時の日本の立場の弱さと、宗教という壁に阻まれた事件の背景が如実に表れたのだ」
昭和の名刑事と言われた、平塚八兵衛刑事も登場したが、6回目の事情聴取直前に一方的に帰国してしまったのだ。
著者の大橋義輝さんは、元フジテレビ記者、元週刊サンケイ記者。著者に『おれの三島由紀夫』『毒婦伝説』など多数ある。
仕事を辞め、たっぷりと時間ができたときに、浮かんだのが、この事件だった。カナダに住む神父の居場所を手探りで突き止め、面会を果たす。カナダでは、劇場や学校をつくった地域の名士だった。2014年、取材の心理戦の果てに神父から漏れたのは、「私は94歳」という言葉だった。2人の「対決」が読みどころだ。神父は2017年3月、96歳の生涯を終えた。
読み終えると、心に空洞のような虚無感が押し寄せてくる。国力が弱いから重要参考人の逃亡を許した事件と記憶していたが、このようなドロドロした愛憎が潜んでいたとは。
本書により、多くの事実を知ったが、限りなく打ちのめされたような気がする。このような読書体験もあるのだと。
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