「昨日とは少し違う自分になる『成熟スイッチ』はすぐそこにある」
昨年7月、日本大学の理事長に就任した作家の林真理子さん。「マッチョな体質を変えていきたい」と抱負を語る姿を見て、こういうことにも挑戦するのかと驚くとともに、かっこいいな......! と思った。
2013年刊行の『野心のすすめ』が若い世代を対象にした人生論だったのに対し、本書『成熟スイッチ』(ともに講談社)は成熟世代におくる人生論となっている。いずれも、どの世代が読んでも人生をより面白くするヒントになるだろう。
今の日本では大人が成熟していない、との思いがあったという林さん。日大理事長就任や忍び寄る老いなど、自身の「成熟の現在地」を明かしつつ4つの成熟のテーマ(人間関係の心得・世間を渡る作法・面白がって生きる・人生を俯瞰する)を挙げ、これまで学んできたことや教訓をつづっている。
「成熟は一日にしてならず。しかし成熟への道は、成熟を目指したとたんにひらけていきます。日常の小さな心がけの一つ一つ、世の中のいたるところに、成熟へと向かう小さなスイッチがちりばめられているのです。」
今から50年ほど前のこと。日大の学生だった林さんは、あんみつ屋でアルバイトをしていた。人並外れて動きが鈍い上に忘れっぽかったそうで、初日から「使えない子」の烙印を押されてしまう。あとから入った高校生がチーフに任命されたとき、「きっと私はこれからも一生チーフにはなれないんだろうな」と思ったという。
ところが50年後、林さんは国内最大級の大学の理事長になった。これは野心ではなく「使命感」であり、「まったく予想もしなかった面白い運命」と書いている。
1982年に刊行されたデビュー作がベストセラーとなり、その4年後に直木賞を受賞。しかし、デビュー当時にテレビにたくさん出ていたイメージがあるからか、責任を担う立場を与えられることはなく、30代半ばから「頼りにされないことに飽きた」という。
そこで、作家として地道に書き続けていこうと決めた。真っ当にコツコツと仕事をしていたら、「ハイハイ、もうよくわかりました」と「神様が根負けしてくれた」ように、賞の選考委員に次々と就任することになっていき......。
「振り返ると、学級委員をやりたくても断固阻止されていた女の子が、徐々に徐々に覚醒して五十代以降になって『長』になるまで体質改善を重ねていったような感じです。人間って変われるんだなあと自分でも不思議になります。」
現在、平日は大学の業務を中心に回り、時間の優先順位は「日大ファースト」。自分のキャパを超えていて、「うわー大変」と思うこともしばしば。それでも「背伸びなくして成長なし」の言葉を胸に、「人間力を試されている」と思って日々働いているという。
本書では、「感謝の流儀」「話術のスパイス」「仕事をどう面白がるか」などの成熟テクニックとともに、ドラマチックな人生を通して私たちを驚かせ、ワクワクさせてくれる林さんならではの数々のエピソードが披露されている。
少女時代に母から「あなたみたいな怠け者は死んでいるのと同じ」とまで言われたほど、ぐうたらな人間だったという林さん。デビューして時代の寵児となっても世間では「キワモノ」として認知され、「キワモノが小説なんて書けるわけねえだろ」と思われていたのだとか。
しかし、3作目の小説が直木賞候補になった時、「自分を舐めていた」ことに初めて気づく。ひょっとして、「書く私」はなかなかたいしたものなのでは......と思ったという。
不倫小説がベストセラーになった時、同じような小説の注文が殺到しても簡単に乗らなかったのは、「生き残るのは大きなものでも強いものでもない。変化していくものだ」と考えているから。どれほどの成功体験を積んでも、そこからまた挑戦と進化を繰り返す生き方は、今も貫かれている。
林さんの考える「成熟」の理想型とは、どんなものか。その1つは、尖っていたものがだんだん滑らかになり、最終的には達観してちょっとしたことには動じなくなっていくのと同時に、非常にアグレッシブな面も持っている、というもの。
「この先は何があるのかわからないけれど、面白そうなことがやってきたらすぐに飛び乗ってみるつもりです。(中略)成熟とは、『昨日のままの自分だと、少しつまらないよ』ということでもあると思います。少しずつでいいから、変わっていくということ。」
表紙の写真は、成熟のビフォーアフターに見える。林さんは自身の「成熟」の理想型を体現しているのだ。林さんのエッセイを読むたびに、なんてドラマチックな人生だろうと思っていたけれども、もともとそうなることが決まっていたわけではなく、運や縁もありながら、やはりいちばん大事なのはご本人がどんな道を選び、どう進んできたかなのだなと、本書を読んで改めて思った。
華々しい成功だけでなく、闇に葬りたいような失敗も赤裸々に書かれているところがいい。親近感が湧いて、元気をもらえるし勇気が出てくる。林さんの「変化」に刺激を受けつつ、自分なりの「成熟」に近づいていきたいものだ。
■林真理子さんプロフィール
はやし・まりこ/1954年山梨県生まれ。日本大学芸術学部を卒業後、コピーライターとして活躍。82年エッセイ集『ルンルンを買っておうちに帰ろう』がベストセラーとなる。86年「最終便に間に合えば」「京都まで」で第94回直木賞を受賞。95年『白蓮れんれん』で第8回柴田錬三郎賞、98年『みんなの秘密』で第32回吉川英治文学賞、2013年『アスクレピオスの愛人』で第20回島清恋愛文学賞を受賞。『葡萄が目にしみる』『不機嫌な果実』『美女入門』『下流の宴』『野心のすすめ』『愉楽にて』『小説8050』『李王家の縁談』『奇跡』など著書多数。『西郷どん!』は18年のNHK大河ドラマ原作になった。同年紫綬褒章受章。20年には週刊文春での連載エッセイが「同一雑誌におけるエッセイの最多掲載回数」としてギネス世界記録に認定。同年第68回菊池寛賞受賞。22年7月に日本大学理事長に就任。同年第4回野間出版文化賞受賞。
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