「私は、産むことにも売ることにも稚拙に抵抗しながら、そこにいた。」
2022年に発表した小説『ギフテッド』と『グレイスレス』がともに芥川賞の候補作に選ばれた鈴木涼美さん。大学在学中にAVデビューし、大学院修了後は新聞社に勤め、現在は作家として活動している。
3作目の小説『浮き身』(新潮社)では、鈴木さんの実体験をもとに、2000年代初頭にデリヘル開業を目指した若者たちと「私」が過ごした数週間を描いている。現在の「私」が大学生だった19歳の頃を思い出すかたちで、物語は進んでいく。
「もうすぐ子どもを産めなくなる私は、恋人と深刻な喧嘩をした翌日、かつて暮らした歓楽街へと赴く。その地に近づくにつれ、デリヘル開業を目指す若者たちと過ごした『十一階の部屋』の記憶が、強烈な匂いを伴って私の脳内に蘇る――。」
昨夜、2年間付き合った男が出ていった。「私」は都心のマンションの部屋を出て、19年前に暮らした歓楽街へ向かった。昨夜から、あの頃の記憶が浮かび上がってくるのだ。1ヶ月にも満たない、多くが素面(しらふ)ではなかった時間の記憶。それは映像のように立体的だったり、写真をつなげたように断片的だったりした。
歓楽街の奥にあるマンションの11階。そこは無店舗型風俗を開業予定の男たちが借り上げた物件で、準備を進めているところだった。当時の首都圏近郊では、店舗型風俗の勢いが衰える一方、無店舗型の開業ラッシュが控えていたという。19歳の「私」は大学ではなく、行く理由もない知り合いもいないその部屋に何度も通った。
窓やカーテンを閉めっぱなしにして、誰もが酒も煙草もセックスもドラッグもやっていた。飲み屋で働いていた「私」と、源氏名を名乗る女たちと、名前すら知らない黒髪や金髪や顔長(かおなが)の男たち。「私」が彼らを思い出すとき、湧き上がる感情は特にない。ただ、あの頃あの部屋で刹那的に生きていたという点では同類だった。
「道に座って時間を潰すほど若くはなく、一日を理由のある時間で埋め尽くしてしまうほど諦めてもいない私たちは、夜になると地上からここ十一階まで上がって、浮くようにそこに居た。」
鈴木さんはあるインタビューで、わかりやすくて共感できる物語より、人によって解釈が分かれる物語に惹かれると話していた。
本書は後者にあたるだろう。評者は数回読み返した。現在と過去の境界線が淡く、時々、これはどっちだっけ......? となったからだ。でもよく考えてみると、記憶が脳内で再生されるときは、こんなふうに現在と過去の間をふわっと行ったり来たりしている気がした。
印象的だったことの1つに、居場所を表す「箱」という表現がある。「私」は地元でははみ出した存在だったはずが、夜の街に紛れると「とても綺麗な小さな箱」の中で育ったように感じる。「父親が用意し、母親が飾った箱」から出てきたはずが、今度はまた別の箱に閉じ込められつつある気がしている。
「一日をできる限り長引かせたい私は、時間も季節も映し出さない地上からちょうど十一階分離れた、住まいでも仕事場でも遊び場ですらないこの部屋にいると居心地が良かった。この部屋にいる限り、少なくともしばらくは何者にもならずに済むように感じて、出ていく理由を持てずにいた。」
19歳の「私」は、地上11階の「箱」に居心地の良さを感じていた。そこで浮いていたかった。しかし「箱」への感じ方は、あるときから変わり始める。それは「私」自身が変わりつつあったということなのだろう。
2000年代初頭に大学生だったという共通点はあるものの、「私」の体験は自分の体験とはかすりもしない、衝撃的なものだった。ただ、あの頃の倍の年齢になった今、ずいぶん昔のことを鮮明に思い出したり、自分のことを稚拙だったなと思ったり、あの子はどうしているだろうと気になったりするのはよくわかる。
夜の街に身を置く「私」のひとときの青春は、危険な香りとほろ苦さを伴うものだった。匂いや音で記憶が立ち上がってくる「私」の脳内を、読みながら覗いている気分になる。時間の過ごし方は違っても、10代の頃ってこんな感覚だったなと思い出した。
■鈴木涼美さんプロフィール
すずき・すずみ/1983年生まれ、東京都出身。慶應義塾大学卒。東京大学大学院修士課程修了。小説第一作『ギフテッド』が第167回芥川賞、第二作『グレイスレス』が第168回芥川賞候補。著書に『身体を売ったらサヨウナラ 夜のオネエサンの愛と幸福論』『愛と子宮に花束を 夜のオネエサンの母娘論』『おじさんメモリアル』『ニッポンのおじさん』『往復書簡 限界から始まる』(共著)『娼婦の本棚』『8cmヒールのニュースショー』『「AV女優」の社会学 増補新版』などがある。
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