社会が目指す一つの理想として「多様性」という言葉が使われるようになったのはいつからだろうか。
人の価値観や考え方、生き方、働き方、性的嗜好、人種、性別、民族...。すべてが尊重されるべき、というのは確かにあるべき社会像だろう。ただ、意地悪な言い方をするなら、人が他者に寛容になれるのは、その他者が自分にとって理解可能であり、さらにその存在が自分の利益を脅かさない時だけかもしれない。もし、ある層の人々が主張する権利が自分の利益を脅かした時、私たちは「多様性」という理想のもとに、彼らを許容できるほど寛容でいられるのだろうか?
朝井リョウ『正欲』(新潮社刊)は、多様性の本質と、その実現までの道のりの困難さを読む者に突きつけてくる。
誰かのやりたいことや考え方、生き方が自分の利益を脅かすシチュエーションは、案外身近にある。たとえば、「他所の家の子」では許せるのに「我が子」では許せないことは、どんな親にでもあるのではないだろうか?
『正欲』の登場人物の一人、寺井啓喜は息子の泰希の不登校に悩む検察官だ。家でふさぎこむ泰希に変化が見られたのは、啓喜の妻で母親の由美のスマホで「これからの時代、学校はもう必要ない」と説いて注目を集めている小学生インフルエンサーの動画に傾倒しはじめてからだった。
「この子みたいに、学校に行かずに、自分の力でやりたいことをやってみたい」
彼に影響されてこう言いだす我が子を、由美は後押しする姿勢を見せるが、啓喜は素直に肯定することができない。大人として、そして検察官として、学校という「レール」から外れてしまった人々がかならずしも幸福に生きていないことを知っていたからだ。
しかし啓喜の意見は、前向きな気持ちを取り戻した息子に安堵し背中を押す妻や、「学校に行かない生き方もある」という、多様性を前面に出す価値観に押し戻されてしまう。自ら動画配信を始めた息子とそれを支える妻は、啓喜には現実から目を背けているようにしか見えない。
もしこれが他の家庭の話だったならば、「多様性」の名のもとに子どもが選んだ生き方を否定はしなかったはずだ。しかし、これは我が子の話。もし学校に行かない生き方を選択した息子が将来自立できなかったら、それはすべて親であるわが身に降りかかる。タテマエでは済まない。
これは「多様性」という価値観の一つの穴を示すエピソードだろう。他人なら肯定できても自分の家族の問題となったら肯定できない多様性の表現は、おそらく誰にでもある。だとしたら、おかれた立場によって、つまり当事者か傍観者かによって簡単にダブルスタンダードに陥ってしまう価値観とは一体何なのか?簡単に「家庭の外向けの方便」や「社会の潮流について行くための仕草」に成り下がってしまう価値観にどれほどの意味があるのか?
決して社会に受け入れられない性癖を持つ人々、多様性の中に拾い上げてもらえない人々、多様性に絶望するマイノリティ。『正欲』には、多様性という価値観のもろさや矛盾を体現するような人物やセリフ、エピソードが次々と出現し、それらは最後に一つの大きな像を結ぶ。
基本的に、多様性は尊重されるべきで、社会として追求すべきものだ。しかし、私たちの社会の中で、その「あり方」は、まったくといっていいほど定まっていない。
あるマイノリティの存在が尊重されるようになれば、別のマイノリティが社会の周縁に追いやられるかもしれない。すべての人を尊重するだけでは摩擦が必ず起こり、勝者と敗者が生まれてしまう。発信力の強いマイノリティグループが勝つのだとしたら、それは多様性とはもっとも遠い。「多様性」という耳障りのいいワードをもてあそぶだけでは、多様性のあり方は決して見えてこない。
多様性という価値観の「陰」の部分を突きつける本書は、今読むにふさわしい。
(山田洋介/新刊JP編集部)
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