日本でも「ポリティカル・コレクトネス(政治的正しさ、以下ポリコレ)」という言葉はかなり広まってきた。
特に企業は経営者だけでなく、広報、PR、マーケティングなどに関わる人も、この言葉に敏感にならざるをえない。少しでもポリコレに理解がないとみなされた企業はあっという間にインターネットやSNSを通じて広がり、抗議活動が起こり、商品やサービスの不買運動につながる世の中である。
差別や偏見を助長するような言葉を使わない、性別による役割の固定化を進めない、多様性の尊重、などなど、ポリコレによって守ろうとするもの、実現しようとしていることは、少なくとも理屈としては正しいように思える。
ただ、多様性一つとっても、突き詰めれば個々人誰でもマイノリティ性は持っているわけで、自分にとって生きやすい社会を作るために個別のマイノリティ性をぶつけ合い、攻撃し合う社会は「誰にとっても生きやすい」どころか「誰もが生きにくい」社会になってしまう。
そんなわけでポリコレの基底にある理念は基本的には正しいものだと思いながらも、「これによって社会がよりよい方向に向かうのか」と考えるとモヤモヤが残る。『ポリコレの正体 「多様性尊重」「言葉狩り」の先にあるものは』(福田ますみ著、方丈社刊)は、そんなポリコレの現状を「ディストピアの一里塚」として警鐘を鳴らしている。
昨年行われた東京オリンピックの女子重量挙げ87キロ級に、史上初めてトランスジェンダー女性選手が出場したのを見て違和感を持った人は多いかもしれない。トランスジェンダー女性がオリンピック出場資格を得るには、血液中のテストステロン濃度を国際オリンピック委員会が定めた値まで下げる必要がある。この選手はその条件をクリアしていたが、仮にテストステロン値が基準値を満たしていても、男性としての骨格や筋力は維持されるため、依然としてスポーツのパフォーマンスは女性よりも有利になる。
また、アメリカではトランスジェンダー女性の選手たちが州の女子短距離走のタイトルを総なめにしてしまう出来事も起きている。その選手たちの記録は「男子選手」としては平凡だが、それでも女子の中に入るとトップになる。オリンピック重量挙げもこのケースも、ポリコレ的にはこれでいいのかもしれないが、正しさや平等さと引き換えに公平さが失われている。これは極端な例かもしれないが、アメリカのスポーツ界ではこういった事例が珍しくなくなってきているという。いずれも割を食うのはトランスジェンダーではない女性選手たちだ。
◇
「he」と「she」を言い間違えただけでクビになる高校教師。
「性犯罪にまつわるワードをつかわれるのが精神的に耐えられない」という訴えを受けて、性犯罪関連の法律の授業が成り立たないロースクール。
本書で取り上げられているのは主にアメリカの事例だが、日本にとっても対岸の火事ではない。ポリコレが話題になる時は「社会的に弱い者が正しさを武器に強いものに立ち向かう」構図になるため、訴えを受ける方は腰が引ける。対抗勢力がないため、「どこまでやるべきか」「どんなことなら主張していいか」という線引きは抗議者側に委ねられる。この先にあるのは無限の過激化と拡大解釈、というのは自由な発言が許される国ではどこでも同じだろう。
「本当にこれでいいのだろうか?」
行き過ぎたポリコレに違和感を持っているなら、本書はその違和感の正体を教えてくれるはずだ。
(新刊JP編集部)
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