母親との折り合いが悪く、中学生になったころから家に寄りつかず、非行を繰り返すようになった。高校に入るとそれはさらにエスカレートし、警察沙汰になるような事件を起こした。教師からは「腐ったみかん」と呼ばれた。
しかし、社会人になってから一念発起し、子育てをしながら大学受験。見事医学部に合格し、今は小児科医として人の命を救っている。
ドラマのような話だが、実話である。『腐ったみかんが医者になった日』(幻冬舎刊)は医師・河原風子さんによる半生記だ。普通なら隠したいと思うトラブルや確執をあえてさらけだすことで、彼女が伝えたかったことは何だったのか?
――『腐ったみかんが医者になった日』からは、風子先生の半生を通して「人間は変われる」「何歳になっても挑戦できる」という強いメッセージが読み取れます。今回の本をどんな人に向けて書かれましたか?
風子:中学生、高校生など、思春期の子どもたちです。私自身も経験があるのですが、家庭に居場所がなかったり、生きづらさを感じている子たちほど、ささいなことで心が折れたり、道を踏み外してしまったりしやすいんです。
逆に、何をやっても一番吸収する時期、伸びる時期でもあると思います。この時期の子たちに、自分の経験を伝えることで何か役に立てればいいなという思いです。
また、この年頃の子どもに手を焼いている親御さんにも読んでいただけたらいいなと思っています。思春期に親と折り合いが悪かった私の経験が、今の親御さんのヒントになってくれたらうれしいです。
――その思春期の経験としてかなりショッキングなエピソードも入っていたのですが、全部実話なのでしょうか?
風子:そうですね。全部実話です。
――中高生の頃はかなり荒れた生活をしていて、高校の先生からは「腐ったみかん」と言われていたという風子先生ですが、現在は医師として活躍されています。人生を立て直せたといいますか、自分を変えられたのはなぜだったのでしょうか?
風子:変わったといえば変わったのですが、自分としては「本来の自分に戻った」という感じなんです。確かに非行が過ぎて「腐ったみかん」と呼ばれていたのですが、好きで腐ったわけではないですし、本心では変わらなきゃいけないという気持ちはありました。
ただ、当時は変わろうとすると周囲の大人に邪魔される感覚だったんですよね。たとえば、今日の夜は出歩かずに家にいようと思っていても、親が前日の夜のことを持ち出して「罰として家事をしなさい」と言ってきたり、何も悪いことをしていない時に限って先生が邪魔者扱いをしてきたりといったことがあって、変わろうとする気持ちが折れてしまったり余計に反発してしまうということはありました。
親や先生がそういうふうに接してくるのは、普段の私の行動からしたら仕方ないことだったのかもしれませんが、自分の意志を無視されているような、「こうあるべき」という大人にとっての理想を押しつけられているような気がして嫌だったのは確かです。
――お母さんが過干渉気味だったということを書かれていましたね。
風子:そうですね。それが小学校高学年くらいから嫌になってきて、家に寄りつかなくなっていきました。ただ、それは両親の離婚がきっかけだった気がします。私が小学3年生くらいのときに離婚したのですが、すごく母は責任感の強い人だったので、「父親がいなくても立派に育てなくちゃ」という気負いがあったのかもしれないと、今は思っています。
――お母さんと折り合いが悪く、中学・高校で荒れていた時も、友達には恵まれていたと書かれていました、当時孤独を感じることはなかったのでしょうか?
風子:それはありましたよ、やはり。友達はいましたし、うちの家庭が複雑で、私が家に帰りたくないのをわかってくれていましたから、たまに泊めてくれようとするんですけど、そうすると母がその子の家に電話をかけてくるんです。しまいには「誘拐として通報する」と脅したりして。
――そうなるとそこにはいられませんね。
風子:そうです。友達に迷惑をかけるわけにはいかないじゃないですか。でも、出ると行く場所がないんですよ。だから野宿をしたりとか。
――野宿はすごいですね......。
風子:それこそマンションの貯水タンクの下で寝たりね。今日寝るところを見つけないといけない、でも母には会いたくないという。そういう時はやはり孤独でした。
――中学や高校で非行に走ってしまう子どもについて考える時に、キーワードになるのは「孤独」です。今現在孤独を抱えている中学生、高校生にメッセージをいただきたいです。
風子:「今の自分の状況に対してどうしていいかわからないし、何もできない」というのが本当にきついんですよね。家が嫌だと思っても、中学生、高校生の年齢では自分で家を借りることはできませんし、お金を稼ぐことも難しい。だけど、もう数年辛抱すればできることが増えて、状況を変えるきっかけがあるはずなので、それまでどうにか生き抜いてほしいということを伝えたいです。
――変わることができた、または本来の自分に戻ることができたのには、何かきっかけがあったのでしょうか?
風子:学校を卒業して働きはじめたことと、結婚したことが大きかったと思います。働くことでようやく自分の居場所を見つけられた感じがしましたし、「安心して帰れる家庭」ができたこともよかったです。母と一緒に暮らしていた家は、私にとってそういう場所ではなかったんです。
――そのお母さんはすでに亡くなられているとお聞きしました。ご自身も母親となった今、相手への気持ちは変わりましたか?
風子:それはもう、かなり変わりました。病気で入院した母のお見舞いで久しぶりに顔を合わせるようになって、相手も私も変わっていったといいますか、この関係をどうにかしないといけない気がして、少しずついろいろな話をするようになったんです。
そうすることで少しずつ子ども時代に母がどんなことを考えていたのかがわかりはじめました。最後、亡くなる間際に「ごめんね」と言われたのですが、そこで母のことを許せた気がしていますし、感謝の気持ちが生まれました。
――お母さんも「こんなはずではなかったのに」という思いはあったのでしょうね。
風子:そう思います。私が小さい頃に母がつけていた記録があるのですが、それを見ると、すごくかわいがってもらっているんですよ。大きな期待をかけて大事に育ててくれていたんだなというのは感じます。今思えば、ですけどね。
――働きはじめて、仕事で評価されることで居場所を見つけることができたというお話がありましたが、そこから大学受験して医師になるのはさらなる一念発起が必要です。子どものころから医師に憧れていたと書かれていましたが、なぜその憧れを思い出したんですか?
風子:出産がきっかけでした。その時にお世話になった産科の女医さんが本当に格好よくて、「もし仮にこの先生のミスで自分が死んでも、絶対に恨まない」というくらい信頼できる方だったんです。その女医さんを見ていて、そういえば私も昔医者になりたかったんだよな、と。ただ、その時点ではとても大学受験ができるような学力ではなかったのですが。
(後編につづく)
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