Netflixでの映画化も決定している『ボクたちはみんな大人になれなかった』から4年。燃え殻さんが、ひと夏の印象的な日々を描いた新たな小説『これはただの夏』(新潮社刊)を刊行した。
本書で描かれるのは、テレビ制作会社の仕事に忙殺され、生きづらさを抱えながらなんとなく生きてきた主人公の「ボク」が過ごした、取引先の披露宴で出会った女性・優香、同じマンションに住む小学生の女の子・明菜、末期がんが見つかったテレビ局のディレクター・大関との特別ではない夏の数日間。
出会いと別れは唐突にやってくる。彼らが過ごした、ただの夏の日々。それが、私たち読者の胸を締めつける。もう二度と同じ時間はやってこない。だからこそ愛おしく、そして切ないのかもしれない。
新刊JP編集部は作者の燃え殻さんにこの情緒あふれる物語についてインタビューを行った。今回はその前編だ。
(聞き手・文/金井元貴)
――まず、この小説の着想からお聞かせください。
燃え殻:モチーフになった曲があります。「けもの」というアーティストの「ただの夏」という曲なんですけど、それを新代田のFeverというライブハウスで聞いたんです。
もともと、けものの青羊さんが『ボクたちはみんな大人になれなかった』にインスピレーションを受けて作った曲があるということで、ライブを観に行くことになったんですが、そこで「ただの夏」という曲を聞いたときに、過去の恋愛や失恋をはじめ、自分の思い出が脳裏に巡ってきたんです。
すごく不思議なテイストの曲で、鎮魂歌のようにも思えましたし、夏から想起される物悲しさを感じるところがあって、印象的で。「この曲のタイトルをどこかで使ってもいいですか?」という話を青羊さんとしたのが、2年前でした。
――「ただの夏」はこの小説のPVでも使われていますね。
燃え殻:そうです。いつか小説ができたら、けものの音楽を使わせてくださいという、だいたいは実現しない約束をして(笑)、小説を書いて、それが実現してしまったということですね。
――「ただの夏」という曲のほかに、モチーフとなるものはあったのですか?
燃え殻:もう一つは、『ボクたちはみんな大人になれなかった』の主人公が、あの後どうしたんだろうということを考えていたんですよね。おそらく彼は何の決着もつけず、東京にいてこまされながら働いているんだろうなと思うんですが、そんな彼をぼんやりと主人公に投影してみようと。
――『ボクたちはみんな大人になれなかった』の続編とはいかないまでも、つながりを持たせたわけですね。
燃え殻:うっすらとつながっていますね。
――この物語で起こる出来事であったり、登場人物であったりに現実のモチーフがありそうな雰囲気もあるのですが、実際はいかがでしょうか?
燃え殻:実はないんですよ。『ボクたちはみんな大人になれなかった』のときは細部までモチーフと呼べるものがあったんだけど、今回はないです。
登場人物にしても、モデルになったような人はいません。そういう意味では自分の中で自由に作っていったところがありますし、なんとなく全員に自分の要素が入っているところがありますね。
――主人公だけでなく。
燃え殻:そうです。主人公の中学生の頃の友人で引きこもりだった男の子・ホクトだったり、末期ガンを宣告された大関だったり、そういった登場人物たちにも感情移入しながら描きました。
――ただ、「ボク」はやはり年齢や職業からいっても、一番燃え殻さんを投影しているのかなとも感じました。
燃え殻:多かれ少なかれ、そうでしょうね。
――「ボク」はアンニュイさや不安、生きにくさを抱えながら生きています。でも、その一方で社会人としてちゃんと生活できている部分もある。取引先の披露宴で出会った女性・優香は、「ボク」のことを「あなたはいい加減じゃない」と言いますけど、まさにそうだなと。その意味で、この人物に自分自身を投影できる読者は多いと思います。
燃え殻:みんなギリギリで日々を生きているんですよね。社会性はあるけれど、生きづらさを抱えている中でなんとか折り合いをつけている。
通勤電車に乗ったら、途中下車したり、乗り過ごしたりしないじゃないですか。ほとんどの人は会社がある駅まで電車に乗って、降りて仕事をして、同じ電車に乗って帰って、給料をもらったらローンを返して...という日々を繰り返すわけですよね。会社のある駅を乗り過ごして、そのまま遠くに行っちゃうことなんてないわけで。
でも、そのまま遠くに行きたいという衝動もあるわけです。その衝動はどのくらい濃いかというと、(ジュースの)トロピカーナくらい濃いんじゃないかなと。そういうものを同じように抱えているのかなと思いますね。
――「ボク」から見た優香はかなり輪郭がぼやけているように感じます。一方で同じマンションに住んでいる小学生の女の子・明菜はすごくはっきりしたキャラクターです。明菜といる時の方が、「ボク」の人生が進んでいるような感覚を受けますが、その対比はどのように意識されましたか?
燃え殻:自分の中では2人とも現実味のない設定のキャラクターで、薄くつながっているようにはしているんです。つまり、明菜はあのまま大人になって優香みたいな人になる可能性もあるし、一方で優香の子どもの頃は明菜みたいな子だったかもしれない。
明菜は優香を見て、嘘をついたり、言えないことがあったりもするけれど、ちゃんと生きている姿にどこか安心したりするのかなとも思うし、優香は明菜を見て、昔の自分を見ているかのように思って、お母さんっぽくなっていく感じにしたかったんですね。
それは女性2人だけじゃなくて、男性の登場人物もそうです。「ボク」はもし少しでも道が違っていたら、引きこもりのホクトのようになっていたかもしれないし、大関みたいな生き方の道もあったかもしれない。その両極の中で立ち尽くしている感じにしたかった。
――全員が全員、別の人間ではなく、どこかでつながっている。
燃え殻:僕自身がそういう考えをしているんですよね。今、目の前にいる人に対して、自分と全く関係ないとは思わないんです。もしかしたら、自分が相手の会社で働いていたかもしれないとか。どんな人も全く違うわけがなくて、何%かでも自分に近い部分があるんじゃないかなと。
優香と明菜も、2人が交流するなかで、昔やこれからをお互い意識することがあるんじゃないかなと思うんですよね。
――なるほど。物語的には、明菜がストーリーを回していく役割を担っているかのようにも思えますが、そこに彼女を据えさせた理由は?
燃え殻:彼女が物語を進めているわけではなく、彼女がいることによって、「ボク」をはじめとした周囲の大人たちが変わらざるをえなくなったということだと思います。
明菜と一緒にいることで、何もせずに面白みもない「ボク」が大人ぶらないといけなくなったわけですよね。そこが大きな変化をもたらしたんじゃないかなと思います。でもそれは明菜だけでなくて、大関や優香もそうです。
また、大関が死というものを突きつけて、初めて「ボク」は大関との関係性や生きることの意味を考えたり、もっと気を使おうと思ったりした。優香という存在を通しても「ボク」は変わっていく。そういった外的要因の中で、少しずつ大人になっていくんですよね。
――今、おっしゃられたように大関も「ボク」に対して大きな影響を与えます。達観した人物として描かれているように思いますが、彼の存在を置いたポイントは?
燃え殻:僕は今48歳なんですけど、実感として死ぬことと生きることの差がなくなってきているように感じることが多くなってきたんです。
僕の知り合いに、会ってから数日後に亡くなった人がいるんですけど、いまだに死んだという実感が湧かないんです。今でもその人から電話がかかってきそうで。逆に生きているけれど、連絡も取り合わない、生きているのか死んでいるのかも分からない人もいる。その人の方が、死んでしまった知り合いよりも遠くに感じるんですよね。
大関は「ボク」にとって前者のような存在で、常に自分の中の意識において近いところにいます。だから、生きていることと死んでいることの差って、自分の考え一つで変わると思うんです。
(後編に続く)
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